【永久版】クララおすすめDVD3選+ワン~こんな時代だからこそ観てほしい!

【永久版】クララおすすめDVD3選+ワン~こんな時代だからこそ観てほしい!

こんにちは、塩ノ山の三枝クララです。
今日は、2020年9月30日、
すっかり秋めいてきましたが皆様いかがお過ごしですか。

今日は、こんな時代だからこそあなたに観て頂きたい私クララの選んで映画DVD3本+1本を紹介をさせて頂きます。

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Brother Sun Sister Moon

 

栄光の一本目はBrother Sun Sister Moon

実は、私クララのクララという名前はこのBrother Sun Sister Moonに出てくる聖クララより神から賜った私の洗礼名です。

聖クララは、今から約800年前のフランシスコ会の女子修道会クララ会の創始者で、彼女の罪なき遺体はもはや腐敗しないとされ、骨格は完全な状態に保存され、イタリアのアシジ の教会内に今も公開されていますが、奇しくも、今この時代に私がクララ塾を創設し少しずつ全国にこの輪が広がっている事も偶然ではないのかもしれません。

聖クララは、聖フランシスコの一番の理解者でもあり一番弟子でもあり、聖クララは、聖フランシスコを「先生」と呼んでいましたが、これまた奇しくも私の夫は、幼児洗礼で聖フランシスコという洗礼名を賜わっており、私は夫が私の音楽の先生でもあるという事で私も夫をずっと「先生」と呼んでいます。

聖フランシスコは、当時も、イエス・キリストの生まれ変わりとも言われていた人で、西暦1200年頃の腐りきっていたキリスト教に、その生き方を通して大きな影響を与えた人で、

800年後の今、世界全体の政治も宗教も澱んでいる時代、聖フランシスコと聖クララの澄んだ生き方に目を向ける事は、とても大切ではないかと思います。

今回紹介するBrother Sun Sister Moonという映画は、聖フランシスコや聖クララが起こした奇跡や鳥や狼ともお話をしたシーンは出てきませんが、クリスチャンでない、キリスト教には興味のない人にも、資本時代の末期の時代に生きる全ての人に観てほしい映画です。

Maria

二本目に紹介させて頂くのは、ズバリMariaという映画です。

題名はイエス・キリストの母のMariaとなっていますが、内容は、聖書にはたった一言『良い人であった』としか書いていないイエス・キリストの母マリアの夫のヨセフの苦悩や葛藤をシンプルに描いており、どれ程に妻マリアと幼子イエスを愛し、二人を護り抜いたか、十字架のキリストには父ヨセフの熱い思いがある事も忘れてはならない~そんな事も教えてくれる貴重な映画です。

こんな素敵な夫婦になりたいものです。

マグダラのマリア

3本目のおススメはマグダラのマリア

マグダラのマリアというと、いつしかイエス・キリストをそそのかしたはしたない娼婦というマグダラのマリアイメージが、私たちに植え付けられてしまっていますが、私が祖先の供養などをしなければならない時にマグダラのマリアがそっと現れて、私に寄りそって下さった事が何度もあり、そんな事からも、私はずっとマグダラのマリアは、イエス・キリストを一番理解していた大霊能者・大預言者でもあり、イエス・キリストの一番弟子だと思っていましたが、まさにその事を証明してくれている重要な映画だと思います。

特に女性に観てほしい1本です。

パウロ~愛と赦しの物語

さて、おススメの映画3選といこうと思っていたのですが、この1本もどうしても外せないので+1本として紹介するのが、パウロ~愛と赦しの物語です。

新約聖書の多くの部分をパウロの手紙が占めていますが、その手紙は、パウロが2,000年後の今を生きる私たち一人一人に過酷な牢獄からムチ打たれながら送ったもので、パウロの熱い愛を知るのならば、聖書の読み方も変わってくる、いえ、変わざるをえなくなります。

またこの映画は、初代のキリスト教がどのようなものであったのかも忠実に描いているため、目を背けたくなるシーンもありますが、最後の感動のシーンを迎えたる時には、必ず、あなたがクリスチャンであってもなくても「観てよかった」と思っていただける映画です。

ちなみにこの映画の1時間と07秒の時に、パウロの手が現れて、私クララの頬に触れたのですが、その1時間07秒の時はどんなシーンだったのか?ぜひ、そのシーンも観て下さい。

最後に

(今回紹介した映画のDVDは下の方に貼っておきますが、)
最後に+1で紹介したパウロの手紙よりコリント人への手紙第二の『体の棘』について読ませて頂きます。

また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。
それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。 

この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。 

すると主は、

「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」

と言われました。
だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 

それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。
なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
コリント人への手紙第二 12:7~10

 

それでは今日はこのへんで。
今日もありがとうございました。
またね、バイバイ!

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