社会と自分を変える神社での【祈りの言葉】
一文無しの人が神の御手となるようビルも建てちゃったお祈りです!
↓YouTubeで語っている事と、ほぼ同内容です。
こんにちは、日本一の霊能者、塩ノ山の三枝クララです。
(2020年11月、神より日本一と公言しなさいと言われました)
けさ、私が氏神様にいく時にいつも必ず捧げる祈りの言葉について考えながら徒歩で氏神様に行くと、ちょうど、神事をしていました。
この偶然は、ホント私は神のご加護を受けながらこの動画を作れているのだと、神が背中をおしてくれてる事にとても感謝しました。
それで、今日あげる動画の中で皆様に福のお裾分けをしたいと思い、遠くからその様子を撮らせて頂きました。この背景がそうです。
この神事をしている拝殿は、見てのとおり柱と茅葺きの屋根だけで壁がありません。
日本のお相撲のつり屋根はここからきていますが、モーゼの時代にはここに暑い緞帳のような幕があったのですが、イエス・キリストがそれを上から裂いて下さったので今はなく、中の様子をこのように私たちは見る事ができます。
さて、前回の動画で、私たちはなぜ死ぬのか?という事についてお話しましたが、ならばそもそもなぜ生まれてきたのか?という事になります。
その答えも聖書にあります。
しかも、旧約聖書を開くと一番最初のページにあります。
それは、創世記の神の『光あれ!』という御言葉です。
創世記では、神が『光あれ!』と命じると、みるみると天地が創造され、人が創造される様子が語られています。という事は、私たちの命は、この神の『光あれ!』という御言葉から生じているのです。
この光とは、神の愛そのものなのですが、どんな原石も磨かなければ光らないように、世の理不尽な出来事によって私たちは学び成長し、最終的に光の存在になっていくのだと思います。
だから神社では「私が光となるようお導き下さい」と私はいつもお祈りします。
具体的には、私は既婚者で、二人とも洗礼名を持っているので、
「いつもありがとうございます。夫 三枝数也フランシスコ、妻 三枝クララ、二人夫婦一体となり、この世の光となるようお護りお導き下さい」といつも祈ります。
パートナーがいない、独り身の方は、「私が光となるようお導き下さい。私を光として神様のために用いてください」でも良いと思います。
そして、氏神様など歩いていけるところは、私は、同じ道はけっして通りません。
ヨブ記26:10にも
『原始の海の面に円を描いて 光と暗黒との境とされる』
とありますが、神様は丸が大好きなようで、それで地球は丸いのですが、丸とされた場所は聖なる場所となり、サタンが入る隙がなくなります。
それで、私はまん丸というわけにはいきませんが、丸を描くイメージで道を選んでそして自宅に帰ってきます。
これで、一文無しだった人が、神の働き手となるためにビルを建てた人もいます。
サムネイルに「社会と自分を変える祈り」と書きましたが、結局は、政治というのは、個人の心内の集合体なので、一人一人の意識が変わっていくのならば、自然と政治もかわり、世界が変わっていきます。
私は、コロナで一時中断していましたが、だいたい毎朝、氏神さまにこの光りの祈りを捧げるために歩いて行ってます。
家では、イエス・キリストが弟子に教えて下さった『主の祈り』を捧げます。
この主の祈り、もうイエス・キリストから2,000年祈られてきたお祈りの言葉ですが、噛みしめれば噛みしめるほど、そのオールマイティさに神様ってすごいなって思います。
今日は、私の人生を好転させた神社での光の祈りについてお話させて頂きました。
お役に立てたならとても嬉しいです。
それでは今日はこのへんで。今日もありがとうございました。またね、バイバイ!